ひきこもりフリーターからカリスマニートになる

大好きな父親を亡くしてから、ひきこもりがちに。ひきこもりでもできる事を模索してカリスマニートになるまでの道のり。犬とアニメが好き。やさぐれ雑記ブログ。

もうすぐ父の月命日

10連休という超大型の連休という最中、私の出掛ける場所は実家ぐらいかな。

連休中に父の月命日を迎えるので、お墓参りのため帰省します。

 

5回目の月命日です。

父の死を乗り越えるまでの心境の変化を自分で読み返せたらな、と思いこのブログも始めてみました。

 

今はまだ、乗り越えられていません。

夜はまだ寝られないでいます。

 

特に月命日が近づいてくると寂しくて、悲しくて寝られません。

父の仏壇の前で膝を抱えているのが一番落ち着きます。

 

もちろん旦那には内緒です。

周りには、もう平気そうに振舞っていますが、全然平気じゃない。

この気持ちを打ち明けられるのは姉しかいない。

 

何をするにも無気力。

仕事とスーパーに行く以外はずっと家にひきこもっています。

何をしても楽しくないし、美味しくない。

自分が楽しんだり、美味しいものを食べるのは父への罪悪感を感じてしまうから。

 

父はそんな事を望んでいないだろうとは分かっているけど、人生が楽しくない。

 

父はまだ55歳でした。

父よりも年上の芸能人が元気にテレビに映っていると、なんで?って思ってしまう。

 

父にもこんな老後が待っていたはずなのに、それが来ない。

 

10連休っていう、びっくりするくらいの大型の連休にも父はいない。

元号が令和に決まったことも父は知らない。

東京五輪が開催されても父は観ることができない。

 

そんな日が来るなんて思っていなかった。

人って死んだら本当に何もできないんだと、初めて思い知らされた。

 

お寺の住職さんに、

姿や声を聴くことはできないけど、そばで見守っている。

というお話をしていただいたけど、実際に会うことも声を聴くこともできなければ、何も実感はない。

 

仏壇に飾る用に父の写真を用意したとき、父が帰ってきたみたいで嬉しかった。

でも、写真は動くことはない。

今はただのオブジェにしか見えなくなった。

 

父と母は6年前に離婚していて、私も忙しかったりして、2年間父と会うことはなくなってしまった。

お互いの誕生日、新年の挨拶をLINEで連絡するくらいになってしまった。

 

ふと、お父ちゃんに連絡しようかな?と思った時があって、LINEの画面を開いた。

あと1ヶ月で年も明けるし、そのときに連絡するからいいか、と思ってLINEの画面を閉じた。

 

その新年の挨拶をLINEですることは二度とできなくなった。

 

こんなに後悔した事は人生で無い。

もしこの時に連絡していれば、父の体調の変化に気づいていたかもしれない。

父が自分の体調が悪い事を、私に伝えたかどうかは分からないけど。

 

心の整理がつかなくて、直ぐに駆けつけてあげることができなかった。

2年ぶりに会った父は、既に棺桶の中で眠っていた。

 

最後に花束を胸元にそっと置いたとき、ドライアイスで冷たくなっている父の体温が手に伝わってきた。

本当に手遅れなんだと、その時に実感した。

 

父に胸張って報告できるような人生にしよう、と思ったこともあった。

でも今は逆に無気力になってしまっている。

 

これが今現在の気持ち。

また次の月命日には違った気持ちになっているのかは分からないけど。

 

でも、前よりは夜泣くことがかなり減った。

ちょっとずつは進歩していると思う。

かなりネガティブだけど、これが今の私。

泣きながらこれを書いたらちょっとスッキリした。

 

お父ちゃん、これから頑張ります。